しじまの里

オタクもすなるブログといふものを、静寂もしてみむとてするなり。

この素晴らしい作画に祝福を!

 一期が好評を博し、二期の放送も好調である「この素晴らしい世界に祝福を!」であるが、この作品に対し、コメディ作品としての評価に反して言われ続けているフレーズがある。
 お察しの通り「『このすば』は作画が悪い」である。これは一期放送当初から言われ続けており、おそらく今でも言われているであろう。
 実際は悪いどころか、逆に作画的見所に恵まれており、今作のコメディ要素も作画に支えられている部分が少なくない。今回は、今作のそういった部分について言及したいと思う。

 

キャラデザ・表情の面から

 今作の「作画が悪い」という印象の元となっている要素の一つとして、キャラクターデザインがあるだろう。あのシンプルで独特なキャラデザを見て、視聴者がそう感じてしまうのは想像に難くない。
 しかし、あのキャラデザだからこそ、今作がコメディであることが一目で分かり、また本編のコミカルさを助長している。
 そして、コミカルさを助長するのはキャラデザだけではなく表情付けもである。その様々な表情がキャラクターを生き生きとさせ、そしてコメディ要素を彩るのである。

 つまり今作のキャラデザ・表情は、今作をコメディたらしめる重要な要素なのである。

 

芝居・アクション・エフェクトの面から

 先程"生き生き"と描いた通り、アニメーションでの動きの要素は、キャラクターなどの生き生きとした印象に繋がる。というかそもそも「アニメーション」という言葉の語源が「生命・魂」を意味する「anima」であり、アニメーションとは動きによって絵に命を吹き込むものなのだ。その観点から、今作で散見される上手い芝居キャラクターの生き生きとした印象に繋がっている。
 またキャラクターが活きることで、キャラクターの"残念な"面も強調され、それがコメディとしての面白さに繋がっている。例えばアクアは、最新話(書いた当時では6話)でも見られたコミカルな芝居がアホさを強調し、ダクネスは、ちゃんと身悶えるからこそ、そのM面が伝わるのである。
 そして、アクション・エフェクト面も、キャラクターの強調に繋がっている。めぐみんの爆裂魔法は、小澤和則氏渾身の爆発エフェクトによってその威力が伝わり、だからこそ爆裂娘っぷりが面白くなる。ダクネスだって、高橋しんや氏の描いた剣戟のようなアクションシーンがあってこそ、視聴者は彼女のことを「強そう」だと感じ、そして彼女の残念な面が強調されるのだ。

 つまり今作は、しっかり動くことによって、コメディとしての強度を高めているのである。

 

"イメージ"の面から

 今作における作画の貢献は先に述べた通りだが、間接的に貢献している面がもう一つある。即ち「作画が悪い」というイメージだ。このイメージは「視聴のハードルを下げる」という貢献を果たしている。
 今作が「作画が悪い」と思われることによって、視聴者の視聴ハードルは下がり、「肩の力を抜いて観られるコメディ」として視聴させることができるのだ。
 またこのイメージは、先に述べた「今作における作画の貢献」を視聴者に意識させず、コメディ作品として素直に観させる効果もある。

 あまり良く思われていないこのイメージも、一応今作に貢献はしているのだ。そう思うことが良いことかは別問題として。

 

あとがき

 こうやって今作の作画について語った理由は、「作画が悪い」というイメージの払拭というよりは、「今作は作画によっても支えられている」ということの認知にある。
 確かに今作のコメディ要素を支えるものは他にもある(例えばBGMや次回予告のぶつ切り芸とか)。しかし作画によっても支えられていることは確かであり、それが認知されないのは流石にアニメーターさん達が不憫だ。故に、ささやかな応援の意も込めて、この拙文を書いたわけである。
 それを踏まえ今回は、記事タイトルであるこの言葉で締めたいと思う。

 

「この素晴らしい作画に祝福を!」

 

(2/20 更新) 表現などを一部修正

(8/8 更新) 内容の一部に重大な瑕疵が認められたため該当箇所を修正