しじまの里

オタクもすなるブログといふものを、静寂もしてみむとてするなり。

「Re:CREATORS」は「シン・ゴジラ」である

 「シン・ゴジラである」は少し言い過ぎたが、少なくとも共通点はあると思う。その共通点とは、メタ的な方法でリアリティを構築し、そこで起こるであろう出来事をシミュレートすることであろう。

 

現実世界とのオーバーラップと、展開のシミュレート

 あまりに抽象的な物言いになってしまったので少し解説を。即ち、作品世界での出来事などを現実世界のそれと重ね合わせ、またそこで起こり得る出来事をシミュレーション的に描くということである。
 シン・ゴジラでは、巨大不明生物出現という「非常事態」における空気を観客に感じさせてリアリティを構築し、その上で巨大不明生物との戦いまでを、政府はどう動くか、自衛隊はどう動くか、とシミュレーション的に描いた。

 ではRe:CREATORSでは何を描いているのか。それは、漫画・アニメ・ライトノベルなどをひっくるめた創作文化である。
 今作では劇中劇について、作者やジャンル、そのキャラクターや作品ロゴに至るまでを設定、また、それを取り巻く「創作文化」の空気を描き、現実世界と重ね合わせている。
 また、劇中劇から現界したキャラクターは、現実世界の作品にも存在しうるようなステレオタイプで描かれている者も多く(例えば女騎士のキャラクターがアナルよわそう騎士然としているが石頭だったり)、現実世界とのオーバーラップを強固にしている。そして、キャラクター達のバックホーンをあえて多くは語らないことで、現実世界の作品のステレオタイプと重ね合わせる余地を与えている(そこを想像で補った分、ステレオタイプに近づくという寸法)。
 そしてその「多くは語らない」という特徴は、今作の「シミュレーション的に描く」要素にも繋がってくる(要するに、キャラクター達が既知であることをわざわざ周りに語らないよね、ということ)。

 先程述べたことから察することもできるかも知れないが、今作はラスボスである「アルタイル」との闘いと共に、キャラクターをシミュレーション的に描いている。つまり、現界したキャラクターがどう動くかなどを(現界以降のキャラクターの変化を含め)シミュレーション的に描いている。つまりキャラクター主導で話を動かす、更に簡単に言えばライヴ感で描くということである。
 これによって話の枝葉が分かれ、「話が進まない」という印象に繋がった感はあるが、この要素は今作と噛み合っており、欠かせない。

 

ドライな創作観

 それら「シミュレーション的に描く」ことと関係があるかも知れない要素として、ドライな創作観があるだろう。情熱や綺麗事だけではどうにもならない、100%完璧な作品を作ることは難しい、クリエイターが人格者とは限らないなど、創作という題材を扱う他作品に比べ、いささか創作観や創作文化に対する視点がドライである。恐らくこれはクリエイター、ひいては広江礼威氏の本音であり、「シミュレーション的な描き方」や「現実世界とのオーバーラップ」に繋がっているだろう。
 そして創作文化に対するドライな視点の化身たる存在が、「アルタイル」ではなかろうか。本編を観れば分かるが、彼女のバックホーンには創作文化に渦巻く悪意、無思慮、無責任、軽々しい消費、などの負の部分が現れており、それに呼応して彼女も創作文化に対する怨嗟や侮蔑を隠さない。この創作文化の負の部分は、我々も日々、見、聴き、肌で感じているだろう。この露悪的とも言える負の部分の表現が「現実世界とのオーバーラップ」に繋がっていることは言うまでもない。

 

今作のテーマ

 では、上述した様々な要素を使って、今作は何を表現したいのか。テーマは何か。それは創作文化に対する賛歌であろう。
 今作はそのドライな創作観とは対照的に、創作に対する情熱を肯定する。受け手(視聴者・読者・観客)の、作品に対する情熱も然り。こういうテーマは、創作という題材を扱う作品では普遍的であろうが、「創作文化の空気」を描くことやドライな創作観などが、そのテーマに奥行きを与え「綺麗事だろうけど、それでも創作への情熱を信じたい」という文脈を与えている。
 そんな今作のテーマは、我々が創作物を楽しむ際にも大切なことではなかろうか。

 

あとがき

 ぶっちゃけこんなめんどくさいこと考えなくても楽しめると思う。基本的にエンタメ色強いし。
 ただ、ここで語った要素の分、少々「作品を噛み砕く歯」が必要になると思うので、そこは留意されたし。

 ちなみにネット配信はAmazonプライムが独占している。加入してない方は、各々他の方法を探してほしい。とは言ってもイリーガルな方法は駄目だよ。

 アルタイルがもっと絶望するだろうから。